その話諸説あり2月8日 ハチ公、秋田美人、地球は青かった



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「その話・・・諸説あり」

2016年2月8日(月) 23時58分~24時45分に放送

出演:ケンドーコバヤシ 生駒里奈(乃木坂46)

忠犬ハチ公

「秋田美人」

地球は青かった

それぞれについて語られた諸説をまとめてみました。

ゲストの生駒ちゃんは秋田美人だそうです。 

乃木坂46 生駒里奈 公式ブログ

 

忠犬ハチ公

定説 飼い主が亡くなった後も駅に迎えに行く忠犬説

ハチが生まれたのは1923年(大正12年)。

飼い主は東京大学教授の上野英三郎博士。博士はハチを飼ってから一年余りで脳溢血で

急死してしまいます。ハチはその後も渋谷駅に主人を迎えに行っていたと言われます。

みなさんご存じの定説です。

当時、犬は放し飼いというのが常識だったようです。

 

諸説① ただの焼き鳥目当て説

当時、駅前には焼き鳥屋の屋台が出ていました。

屋台の前でハチが焼き鳥を食べる写真が残っており、ハチが渋谷駅周辺に行ったのは、焼き鳥をもらうのが目当てだったという説です。

1935年(昭和10年)に亡くなったハチの遺体は、死因特定のため東京帝国大学

病理解剖されました。

解剖記録によると、胃の中から焼き鳥の串が4本出てきたとあるそうです。

東京大学の農学資料館にはハチ公の臓器が今も保存されています。

焼き鳥を串ごと与えた人がいるのでしょう。

ずいぶんぞんざいな扱いですが、そのまま食べる方も食べる方です。

 

諸説② ハチ駅前をぶらぶらしていただけ説

山梨日日新聞1982年1月9日付で、

「忠犬説に異論」という題で、

電気通信大学元教授、高橋庄司氏の見解が載ったそうです。

「いつも決まった時間に主人を駅まで迎えに行くとあるが、

当時の上野は大学教授だったので、出勤や帰宅も不規則だった。

ハチは主人の出勤・帰宅時間に関係ない時間帯に駅前をぶらぶらしていた。

それを見て、駅員が勝手に解釈したのではないか。」

というものです。


2015年3月9日放送のニッポン放送のラジオ番組

高田文夫ラジオビバリー昼ズ」で、

渋谷生まれの高田文夫氏が語るところでは、

「うちのおふくろいわく、

飼い主が死んでも分からないで

ただ駅前に屋台がいっぱいあったから

みんな人がいいから、ハチがくるとエサをやる。

バカハチって言うんだよ、渋谷じゃ有名だよ。」

とのことです。渋谷生まれの方がいう事ですので、説得力があります。
 

秋田美人

定説 色白だから説

秋田大学医学部 皮膚科・整形外科

横井彩助教の解説です。

過去30年間日照時間が全国一短い。

全国  1897時間

秋田県 1526時間

紫外線を浴びないことは、色が白く肌が若く保たれる。

 肌の白さ比率

全国平均 22.0%

秋田県  29.6%

データが明確に色白の割合の高さを示しています。

とはいえ、色の白さだけでは語れない気もしますが。

 

諸説①ロシアの末裔説

秋田県立博物館 名誉館長 新野直吉先生の解説です。

秋田の人は古代から「渤海」などの人と交渉がありました。

渤海:7世紀末~10世紀、朝鮮半島の北部から極東ロシアの地域に存在した国

726年以降「渤海」と日本は国交を結び、人々の行き来がありました。

大型船が停泊しやすい男鹿(おが)半島から多くの人が秋田に入ったと考えられます。

西日本では中国大陸の影響を受け、血液型はA型が多い。

秋田ではB型が多い。これは白人と同じ傾向です。

古代の秋田城の跡には水洗トイレの遺跡が残っており、

沈殿槽の中から寄生虫の卵が見つかりました。

豚を常食する人たちが使った痕跡と推察されます。


諸説② 川反(かわばた)芸者総選挙説

秋田市の繁華街川反(かわばた)。

明治から昭和初期に隆盛を極め、芸者衆の置屋がたくさんありました。

美貌はもちろう芸にも秀で東京でも大評判。

昭和26年2月5日、たばこ協会から発行された「たばこ新聞」には、

「麗人東北秋田地区得点表」が掲載されています。

たばこを買うと投票用紙が付いてきて、投票するしくみ。

「麗人秋田当選発表会」としてステージでお披露目されました。

これが秋田一の美人を決める大会となり、秋田美人を世に広めたという説。

AKBの総選挙と同じシステムが、数十年前にもあったのですね。

秋元さんはご存知だったのでしょうか。


諸説③ 茨城の美人大量移入説

水戸60万石の大大名だった佐竹義宜 佐竹氏19代当主(1570~1633)。

伊達政宗のいとこだそうです。

関ケ原の合戦で、戦いに消極的だったことから秋田に転封されました。

そのとき、はらいせに水戸にいた美人を秋田に連れて行ってしまったという説。

しかし、佐竹氏の子孫で秋田県知事の佐竹敬久氏に聞くと、

「転封の際には美人ばかりを選ぶというような事はできなかったと思います。」

という返事でした。

確かに、水戸から秋田に転封されて、家臣団を引き連れていくのに、

そんな余裕はなかっただろうという気はします。第一、理由が子供じみています。

 

ケンコバ

伊達政宗が、戦いのためには女にうつつを抜かすことは許されないとして、

仙台の美人と秋田のブスを交換したという。

 これも、言われて見れば、そういうこともあるかもという気もします。

 

地球は青かった 

定説 地球は青かった

1961年、旧ソ連の世界初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、

宇宙から地球を見て言ったことばは

地球は青かった

今まで、信じて疑ったことはありませんでしたが、

当時の日本の新聞にはこのことばはでていないそうです。

さらに、ロシアでも、まったく広がっていないのだそうです。

 

諸説① 地球は青みがかっていた説

ガガーリンは、新聞のインタビューに「地球は青みがかかっていた。」と

答えたけれども、日本の新聞がアレンジした説。

 

諸説② 長文説

ガガーリンが言ったのは、

「やがて地球の大気を通して

太陽の光線が漏れてきた。

地平線が明るいオレンジに輝き始めた。

空色、青色、すみれ色、黒と

移り変わる七色の虹のかぎろい。

とても言葉にはつくせない色の階調。

ニコライ・レーリッヒの絵を見るようだ。」

という説です。

 

もっともらしいのですが、実際宇宙ステーションからの映像を見ると、

移動スピードがすごく速くて、

空の色が徐々に変わるような状況ではないと思われます。

 YouTubeでお確かめください。

国際宇宙ステーション(ISS)から撮影した夜の地球 【Full HD 1080p】 - YouTube

夜景やオーロラ、雲の中に瞬く稲妻が美しいです。

 

まとめ

中学の歴史教科書でも、鎌倉幕府成立は1192年から1185年にいつの間にか

変わってたりします。

現在の定説も絶対とは言えませんね。

秋田美人は「渤海」の影響があるという説で思い出したことがあります。

ロシアのバイカル湖沿岸に住むブリヤート人の方々、顔が日本人によく似てるんです。

氷河期に海を渡って日本に来たのではと思ったりもします。

マクソホン村 --- 日本人とそっくりなシベリアの人々 - YouTube